好きなものについてぼんやり考えるブログ
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Posted by さおり
 
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喪失について
大きな出来事の前では言葉は本当に無力です。全て言い表せる言葉などないし、言葉を重ねても重ねても足りなくて虚しくなってしまいます。それでも今の痛みを書いておきたいと思います。

私は彼のことをよく知ってるわけではありません。でも悲しい。こんなに急に別れがやってくるなんて。大事な人がいなくなるなんて。急な喪失の前にぼんやりと立ち尽くしてしまいます。近くにいた方々の悲しみ、痛みは想像もつきません。でも痛い。私はラルクを通じてしか彼のことを知りません。メンバーの痛みを思うとつらくて痛いです。すごくすごく心配です。


私は最近別れを体験しました。いまだにその事実から目をそらし、考えないようにし、実感していません。悲しんでいるのかすら分からないし、触れたくないし、慰めてくれてるのだとしても不用意には触れられたくない、ぼんやりとした、膜を張ったような気持ちです。そんな気持ちでも、私の生活は何も変わらず進んでいて、その事実に戸惑っています。自分の世界からある人の存在が消え去るということは突然に簡単に軽やかに起こってしまうのだなぁと戸惑っています。
私の大事な人も大きな別れを体験しました。私はその人にどう接するのが正解かわかりません。いっそその人になって同じ経験をして全く同じ痛みを得たい、そしたら何が正解かわかるのにと思うけどそんなことは不可能だし、そんな大きな痛みを抱える覚悟は結局はずるい私にはありません。その人が笑えば私も笑うだけです。泣かないようにするだけです。
私もその人も笑っています。喪失したことを抱えながら、その経験前と同じようにくだらないことを言って笑っています。ご飯もおいしく食べるし、夜は眠ります。
強いなぁ強くできているなぁと思います。そうやって暮らしていることを冷たいんじゃないかとつらく感じたりしました。まだたまに感じたりします。
でもそうするしかないのだなと思います。
喪失した痛みは抱えながらも、生活していくしかないのだなと思います。もう会えないけれど。


繰り返しになるけれど、コメットさんの近くにいた方々の、彼を失った重みや痛みを残らず自分の痛みとして捉えることは、当然ながら私にはできません。そんな簡単なものではないと思っています。でも、私にとって大事な存在が泣いていると思うと、今、同じようにつらいです。大事な存在が痛みを抱えてることが悲しく、痛みを完全に理解し合えないことが悲しく、その痛みに何もしてあげられないことが悲しく、どうしようもない喪失そのものが悲しいです。


それでも私は今日もいつものように生活しました。私の場合はそれでいいんだと思います。
人それぞれ悲しみへの向かい方があると思います。それぞれが忘れず大事に抱えながら進んでいくのだと思います。
私は明日からまたいつも通りです。何も元には戻りません。
これからもいっぱい楽しみます。


でも、やっぱり、誰も死ななきゃいいのにと思います。誰もどこにも行かなきゃいいのに、どこにも行かないでほしいと思います。子どもっぽくて無茶苦茶だけど、そう思います。



自分の気持ちを見つめるためだけに書きました。支離滅裂だと思うし、配慮に欠ける部分があるかもしれません。でも、いろいろ考えると取り繕ってねじ曲げてしまう癖があるので、今日はこのままにしておきたいです。
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